オヤジって大した人だったんじゃないかと思えるワタシは年が行ったってこと?

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津田紘彰さんのYoutube動画を見たせいか
ふと40年以上も前に亡くなったオヤジのことを思い出しました。

 

息子とオヤジっていうのは
きっと何かしら溝のようなものがある存在かなあと
ワタシは思います。

 

だけれど
ワタシが年をいくに従ってオヤジの存在を内に感じるようになりました。
「そういえば、ワタシのこんなところはオヤジそっくりだな~」って
時々思い出すたびにオヤジが身近に感じられるようになってきました。

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今回思い出したっていうか感じたこと

今回思い出したっていうか、感じたことはこういうこと。

「そういえばオヤジは起業家だったんだ

人の困っていることを工夫して何とかしてあげて仕事にしてた
一度は倒産したけど復活して個人企業でまた仕事してた

それって大したことなんじゃないか?

ワタシは起業家の息子か?
ワタシにも起業家の才能があるかも知んないね」

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オヤジの起業と倒産と再起業

ワタシが物心ついた時にはもう合資会社伸栄工業という鉄工所をやっていた。
会社が自宅にあって1階が工場で2階が住居になっていました。

 

一応、社長だったこともあり裕福な方だったと思う。
小学校で3Cのある家はあるかと先生に聞かれてワタシ一人だった。
3CというのはCAR、COOLER、COLORテレビのこと。

 

そのうち業績が良かったのか工場を移転するようになった。
移転して大きくなり従業員の数も増えて行きました。
機械も買い込んで結構、借金があったと聞きました。

 

なぜ倒産したのかはよくは知らない。
設備投資のし過ぎっていうことも聞くし
元従業員の保証人になって躓いたこともあるようだ。

 

倒産にはあまりいい思い出がない。
中学生、高校生の頃から会社の手伝いはよくさせられていた。
従業員は息子であるワタシに聞こえないように会社の行く末をヒソヒソ話しをしてた。
親戚を無断で保証人にしたりして迷惑をかけてワタシも責められた。
取引先には「オヤジはどこ行った?隠れとるんか?」って言われた。

1年ほどはワタシと弟は自宅で、オヤジと母と幼い妹は工場の2階の従業員の寮で別れて生活してた。

 

今から考えると父は1代で事業を起こし、あそこまで大きくしたんだなあと思う。
北陸三県に営業所を置くなど結構手広くやってた。
結局、倒産したけど、今度は自宅の1階に工場を作って個人事業主として仕事を始めた。

 

ワタシが大学2年のときに倒産した。
母の意見で中退せずに卒業させてもらってワタシは家業に入った。
1年経ってオヤジが亡くなり、その後2年ほど家業を続けたが家業をたたんだ。

 

事業をたたむのは簡単だけれども起こすのはとても大変。
さらに一度倒産して再び立ち上がるのはもっと大変と思う。
オヤジの苦労を思うともったいないことをしたな~って思う。

 

会社は永続するように努力しないと倒産に向かって進む

ワタシはその後、小売業に携わり、やりがいを見つけたし、いい会社にも恵まれた。
充実した人生だったと思う。

 

13年勤めた食品スーパーはワタシが辞めてから数年後には業種変更し最終的には倒産した。
16年勤めた理想とする会社も創業から31年で倒産した。

会社というのは倒産するものだと思う。
永続するように努力していないと倒産に向かって進んでいくものだと思う。

自分の命を活かして生きる

16年勤めた理想とする会社では自分の命が輝いていたと思う。
ワタシの働きがお客様に喜ばれる、従業員の喜びにつながる。
そういう経験は何事にも代えがたい。

 

 

そういう経験をしてしまうと社風の合わない会社は居づらい。
ワタシの命が無駄に使われることがとてももったいなく思う。
経済的な安楽さを捨ててでも、そういう環境を飛び出たいと思った。

 

 

でも世の中はそんなに甘くない。
ワタシの命を活かしていただける会社はもうなさそう。
それで起業した。

 

 

なかなか収益化しないので起業の大変さが身にしみる。

オヤジも大変だったろう。
でもオヤジは人の困りごとを何とかしてあげて仕事してた。
一度、倒産してもまた立ち上がって
人からの頼まれごとを工夫して何とかしてあげてた。
死ぬまでそうしてた。

 

ワタシもそうありたい。
ワタシの命を活かしてくれることに応えたい。
生まれてきて誰かの役に立って、無駄じゃなかったねと思える働きをしたい。

 

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ふとオヤジの事を思い出した

オヤジは1代で個人事業主として創業しそこそこの規模まで拡大した。
オヤジは起業家だったんだと思うとすごいな~って思います。

 

オヤジは工夫をする人でいろんな人からいろんなことを頼まれて喜んでもらえるような仕事をしてた。
オヤジは頼まれごとに弱い人だったようだ。
頼まれごとを何とかしてあげたいという思いが強かったのかもしれません。

 

自分でアイデアを出してそれを売り込むというよりは人からの頼まれ事をこなしていく。
それがオヤジのスタイルだったかもしれません。

 

まあ、それでかなりのお客様から可愛がられてある程度の業績まで残したのかなと思う。
でもそのスタイルはそれはそれで成功の基とも言える。

 

オヤジは割と無口でボクシングが大好きで
テレビを見ながら自分もボクシングをやっているように体を動かしていた。

 

演劇も好きだったらしく村の中での演劇で役者を演じてたりしたこともあったようです。
割とおとなしいオヤジにはそういうひょうきんなところもあったなあと思い出す。

 

真面目は真面目で酒は飲めませんでしたし、博打もやるわけではないし、浮ついた話もなかった。
真面目な父親だったが、とても短気で、すぐ物が飛んできたり手が出たりした。
そういうオヤジは子供の頃からあまり好きじゃなかった。

 

でも自分のことを考えると
私もそういうところがあってとても短気ですぐ手が出ちゃう頃もありました。
とても似ているなあ、気質が似ているなあ
頼まれごとには弱いし頼まれると何とかしてあげたいなとなる。

 

 

オヤジは起業して倒産もしたけど、また復活して事業を始めて
オヤジはやっぱり立派だったんじゃないかなと思う。

 

倒産した時には世の中にも親戚にも迷惑をかけたけど
自分の保身ではなくて従業員を守りたかったのかもしれません。

 

そういうオヤジのいいところも悪いところも今は淡々と受け止めて
「うん」それでもいい人だったんだなあ~と思う。

 

厳しかったけれども子供達を大事にしてた。
そういうオヤジは結構大した人だったんじゃないかなと思う。
その大した人だった息子のワタシも、もしかしたら、たいした奴かもしれない。

そんなことを思い始めた。

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